2018年11月23日

日本・モザンビーク・ブラジル 3カ国民衆会議Ⅱ

危機の21世紀を超えて、つながりあい、食の幸せを未来に手渡すために〜
3カ国民衆会議は問題あるODA開発批判にあらず幸せな社会を求める運動

いまブラジルで起きていること

ブラジルFASE ジアナ・アギアール氏

家畜飼料用に大豆生産が世界では急増している

 ブラジルでの経験をお話しできることをありがたいと思っている。工業生産モデルにはそれぞれの歴史がある。先住民が伝統的にやってきたベースが輸出用の農業の土地へと変えられている。そして、食の主権が奪われている。では何が問題なのか。あえて「コモディティ」という言葉を使いたい。モノカルチャーとして生産されているものである。これは、テクノロジーを使って生産するということで小規模農家に影響を与えている。品目としては、食肉と大豆が非常に大きい。これは、日本では醤油や味噌に使われている。また、日本において消費されている大豆はそれ以外に家畜の餌にもなっている。大豆の大部分は飼料用の餌として使われている。

2018112106S.jpg このグラフを見て頂きたい。このグラフは大豆の輸出先である。黄色が日本で、以前は25%であったが、今は2%となっている。グレーがヨーロッパで一番大きいのが中国で66%となっている。この40年で大きく増えている。

 大豆以外の食料でこれほど変化したものはない。グローバルにみれば、サトウキビと大豆だが、これは食肉の消費にもつながっている。

セラードを開発することでブラジルは世界有数の大豆生産国となった

2018112107S.jpg 次の図は輸出国を示したグラフだが、一番下のブルーがアルゼンチン。そして、グレーが米国である。以前は8割が米国であった。そして、オレンジ色がブラジルである。ブラジルが1977年にはわずかであったのが、なぜ大輸出国になったのか。それは偶然に起きたのではない。生産者が生産量を増やしたのではなくブラジルの独裁政権時代に開発したからである。これには、日本も参加している。この開発事業が今は「プロサバンナ」となっている。

2018112108S.jpg 1973年から2014年にかけてどのように増えていったのかを土地で見ると、大豆はもともと熱帯には向かない作物なので、最初は緯度が高いところで生産され、その後、ブラジル農牧研究公社(EMBRAPA)も連携して赤道地域の気候へとあわせていったことがわかる。

 この緯度が高いところ、セラードは非常に大事な地域で、もともとの原生地であったのが、これが農地へと変えられてしまった。そして、もう一つが食肉の生産である。

水を形成していたセラードを破壊することでブラジルの生態系がダメージを受けている

2018112109S.jpg さて、セラードには水を保持する役割があった。地上よりも根の部分が非常に大きいが、ここがスポンジのように重要で南米の水域を形成していた。この素晴らしいエコシステムがこれによって破壊された。生物多様性が失われた影響は大きい。そして、ブラジルのアグリビジネスは成功していると言われているが、生産性があがっているというのだが、その生産性というのは、実は開発面積が増えただけなのである。そして、生産性はすでにピークを超えている。例えば、2009年にFAOが発表した資料によれば、まだ開発がなされず今後、開発できる可能性が残されたところは、サブアフリカと中南米である。そこで、最後の開発ポイントでアマゾンの先住民たちが反対している。彼らは鉄道は欲しくはない。いらないと述べている。そして、自分たち先住民の血が流れていると言ったのである。

モザンビークの開発・プロサバンナにノーを

 モザンビークの人口の81%は農業で暮らしている。そして、モンザンビークの食料の90%は国内で生産されている。GDPへの寄与は31.9%と大きい。しかし、モザンビークは、二つの戦争、独立戦争と内戦を経て、それ以降、90年代から対外投資を受け入れることとなる。

2018112114S.jpg 消費される穀類の3分の1、野菜の38%は小農たちが生産している。そして、ナカラ回路は農業だけでなく天然資源が多い。これをつなぐのが鉄道で、これが彼らの開発モデルである。列車が1日に5回、6回は通るために石炭によって5歳の子どもが結核になったり、遮断機もないために事故で轢死したりしている。実際に鉄道を作ったのはブラジル企業だが、ブラジル政府だけでなく日本政府もそこに参加している。鉱山会社には日本の国際開発銀行が融資し、そこで鉄道ラインが作られた。港も作っている。三井物産が15%を占めている。したがって、日本政府にも責任がある。

連帯に基づくのとは異なる国際協力

 国際協力は連帯に基づくべきものである。けれども、それが、さらなる貧困を作り出している。違う面を見据えたプログラム、そこに住む人が本当に必要としているものに基づくべきものが必要なのである。

日本の市民社会の取組み

日本国際ボランティアセンター 渡辺直子

 2013年から10回調査をしてきた。そして、農民たちの声を聞くと問題となっていることがわかる。人権侵害がなされ反対派は投獄もされている。つまり、人権はまったく改善されていない。しかし、日本側の情報では問題がないとされる。現場とのズレがある。そして、色々と調べてみるとJICAが依託したコンサルタント会社が、開発にノーという団体(赤色)、無関心な団体(黄色)、賛成する団体(緑色)に住民団体を区分し、緑色の団体だけを取り込んで、住民側も賛成しているとして強制的に事業を進めようとしていることがわかってきた。現地の人々がJICAが住民を分断しようとしていると言っているのはこういうことである。そして、これは私たちの税金でなされているのである。ちなみに、外務省もまずいと気づいて2017年3月に当時の局長が事業を中断したが、再び河野外務大臣が事業を丁寧な判断のもとに評価することが必要だとして新たに動かそうとしている。小規模農家とか色々言葉上では出てきてはいるが、開発の考え方そのものは変わっていない。そして、現地の弁護士もこれを有罪としてきている。

小農宣言がなされた意味

船田クラーセンさやか 小農宣言は、まさにドラフト段階から書いて、農民たちが国連に持ち込み、それが採択されたものである。残念なのは日本が棄権したことだ。

Sayaka-Funada.jpg
モザンビーク男性 資本側はそれぞれの地域の経済を開発していくと言っている。しかし、例えば、ケニアでは牛乳が生産されていて新鮮なミルクが飲めていたのが、ネスレが入ってきたことによってケニア政府はローカルな生産を破壊している。こうした変化が起きている中で、国境を越える運動でグローバルな形で闘争を続けていかなければならない。法制度の面から変えていかなければならない。

 そして、グローバルなネットワークがつながり、ビア・カンペシーナのような連帯が誕生してきたことである。それは、文化人類学等も含めて、ネオリベラリズムによって失われているものを守り、見直していく動き、ローカルなものを取り戻す動きである。この20年の運動の結果、小農の権利宣言が発表されたのである。とはいえ、宣言だけでは何も変わらない。ローマにあるFAOも世界の食の政策をアグロエコロジーへと変えてきているが、各ローカル政府の制度を変えていかなければならない。ロビー活動によって、人々の暮らしを守っていく政策を民主化を進めていかなければならない。

 そして、この戦いの要素にはポイントがある。ひとつは土地を守ることである。小農たちが土地、生物多様性にアクセスする権利を守ることである。二つ目は、種子へアクセスする権利、農民同士で交換する権利である。その意味で小農宣言は大変に大きな働きを持つ。小農を守ってくれるメカニズムとなる。とはいえ、いかにして、政府を動かしていくか。モンザンビーク政府は小農宣言に賛成はしたが、これを国内法にしたいかなければならない。

斎藤敏之 ビア・カンペシーナの日本のメンバーとして国際活動を進めてきた。種子の問題では国連での日本政府の態度がひどいと思った。タネは農民の権利ではないとしたからである。そして、今度も棄権した。2014年は国際協同組合年の年であったが、日本政府はこの年に農協法を潰した。今後、大きな運動を進めていきたい。

モンザンビーク男性 我々は祖先の農業を守っていきたい。農業を継承している。土壌を保全する農業である。本来の農業文化を守りたい。アグロエコロジーを推進している。天然の殺虫剤を使うとかである。

イゾレッチ・ウィシニエスキー セラードは生物多様性が豊かな土地である。そもそも穀物を生産する土地ではない。そして、低木、低層林、森林、牧草からなる生態系で水が作られている。ブラジルの6水域に水を提供している。そして、そこには、80もの先住民やインディオ等の様々な部族、そして、入植した人々がいる。ココナッツだけで生きている人もいる。ヤシの実からすべての生活の糧を得ている部族もある。椰子からは油や食料になる粉だけでなく、それを使い食料以外にも石鹸等も作ることができる。

 これに対して、モノカルチャーは何も生産していない。大豆は深い根を持たないが、伝統的な植物は深い根を持つ。そこで大豆になると暮らしが奪われてしまう。セラードで培われてきた歴史、文化、エコロジーを尊重していくことが大切である。つまり、抵抗運動は大変に重要で複雑な内容を持つ。

アグロエコロジ―と食の主権はいのちを守ること

 伝統的に先住民は大地を聖なるスペース。文化のスペース。多くの人が指摘するように生命のスペースとしてきた。そこは、ただ生産をするだけの空間ではなく、日々の生活に関係していた。アグロエコロジ―というときに、それは、ライフスタイルの話をしている。自然とはいのちと同義語であった。コミュニティが守っている土地は、子どもたちや子孫のためのものであり、さらに、人間のみならず、動物のいのちはすべて同じであった。食の主権とアグロエコロジーの大切さはそこにある。

 そして、アグロエコロジーの全国ネットワークがあり、それは人々がつながる場にもなっている。4年毎に大きな出会いの場を持つ。この場においては若者たちがネットワークを作り、連帯的な商業を作る方針が展開されている。

日本での取り組み
耕し歌ファーム山本奈美

安全なものを求めた母親たちから始まった提携

Nami-Yamamoto.jpg 私は京都の山の中で暮らしている。中南米とかを調査してきたが、誰かの犠牲の上にいまの暮らしがあることに気づき、できるだけ人々に負荷をかけないために、山の中で小さな暮らしをしている。CSAをやっている。

 さて、今回は、1970年代に日本でどのように提携(CSA)が始まったのかを、モザンビークの人たちに知ってもらいたいと思い紹介する。

 1973年10月に 千葉県の三芳村に主婦たちが押し寄せた。食べ物の安全性が危ういことが明らかになったからだ。当時、日本は、PCB、BHC、有機リン剤、残留農薬、水俣病、イタイタイ等が起こっていた。そして、便利なものには発がん物質が含まれていた。まさに、クスリ漬けであった。そこで、せめて子どもたちに安全なものを食べさせたいという母親たちが共同購入を始めた。それは、日本の農業の近代化の負の部分であった。例えば、窒素で儲けた企業、チッソが水俣病を引き起こしたし、第二水俣病は、遺伝子組み換えの事故を引き起こした昭和電工であった。

2018112112S.jpg 提携運動とは何か。それは、消費者運動のオルタナティブだった。食べ物は商品ではなく「いのち」である。そこで、自分で配達し、計算をし、農作業を手伝う。お互いを思いやる。お互いに考えて、食と農をつなげる運動であった。当時、運動を展開した「使い捨て時代を考える会」の槌田劭(1935年〜)氏は「暮らしの知恵と親しい友人を得られる」と言っていた。確かに、いまの若い人たちは、大豆で味噌を造る知恵を失っている。スーパーに行って買った方がいいとなれば、それは、安く外国から持ってくればいいという論理へとつながっていく。そのアンチテーゼが、漬物生産、味噌づくり。日常的な実践に基づいて仕組みを問い直すことである。

Rei-Ozaki.jpg いまの食は、どこの誰ともつながらない。だから、人がつながる食へ。大阪府の有機農業研究会の尾崎零さんも昨日はいらっしゃっていたのだが、それをつなげていく。

 そして、自給と言ったときに、とかく、すべて一人でやることを考えがちになるのだが、田んぼの草は一人では取り切れない。水路も農道も一人では管理できない。危機的な現状も一人も背負い切れない。その一方、収穫された実りも1人では食べ切れない。つまり、ひとり一人がもっているものをわかちあう。それによって誕生するのが自給圏だと思っている。

 どのように食べていきたいのか。そう考えて食の主権を取り戻すことが大切であると考える。

船田クラーセンさやか 篠山ではモンザンビークの人々と交流した。北海道のエップ・レイモンドさんも今日はお見えになっているが、そこに泊まって農家交流をした。犠牲の開発をどうするのか。つながることで変えられる。タネをシェアすることでいろんなつながりができつつある。

モザンビーク男性 在来品種が農民の味方になってくれる。子どもたちにも農民の農業を教えている。それが使命であるとして連帯をしている。隣人同士が助け合っている。祖先が使っていた在来種を失わないように種子をフェアで交換し、将来世代にも伝えていきたい。一方で、政府はそれ以外の手法を採用している。まだ土地が肥沃なために、2年ぐらいならば生産できるかもしれない。しかし、種子が失われたら昔の状態に戻ることはできない。

 そこで、我々はオルタナティブとして現地で堆肥や厩肥を作り、虫を殺すことを目的とはしない天然の殺虫剤を用いている。それがオルタナティブであり、全国で共有している。そして、学校を作って農民を集めて教えている。この手法は農民から農民への学びである。種子バンクもある。国の農業改良普及員はそういうことを考えてはいない。そこで、我々は、コミュニティのことを考えている指導員のことをエクステンション・サービスではなく、ローカル・プロモーターと呼んでいる。

パネルディスカッション

いのちがキーワードなのに日本社会は人権意識が薄い

Kouichi-Ikegami.jpg池上甲一名誉教授 近畿大学に務めていたがこの4月からフリーである。何も下打ち合わせもなしに始めたいが、いくつかのキーワードがあった。第一は、一番大切なものは、「いのち」「生命」というキーワードである。そして、この「いのち」はつながりあっている。未来とも祖先ともつながっている。したがって、「つながり」が第二のキーワードである。そして、あまり具体的には話がでなかったが、「文化スペース」ということもあった。まずは、この感想を申しあげたい。

 また、日本社会の特徴として、人権意識の薄さがある。農水省の官僚が「農民の権利」を口に出すと省内で笑われるという。日本の農家は圧倒的多数が小農であるにも関わらず、その小農の権利に責任をおうべき農水省がそういう認識なのである。

 そして、ジェンダーギャップもある。このリポートで日本は何位か。実は世界で100位を超えている。国際人権等も批准していない。この状況に私たちは危機感を持つべきである。

 第二にいまもJICAのサイトを見ると「不毛の大地セラードを農地に変えた」と書かれている。こうした嘘がまかり通っている。どうやって私たちは本当のことを伝えていけるのだろうか。女性の開発モデルでは、連帯が重要だとされた。そして、連帯を築くためには、信頼とシンパシーが必要である。

ジルベルト・シュナイダー 共通する冨を守るためには人々のつながりが欠かせない。プロサバンナ開発に対する抵抗運動。様々な大規模なプロジェクトに対して人々のつながりは、問題点を伝えていくことが役立つ。そのために組織化を行い、良いオルタナティブを実践していきたい。

2018112110S.jpgイゾレッチ・ウィシニエスキー 人々の連帯が大切である。セラードの価値はブラジル社会でも広く知られてはいない。このようなシステムがあることを世界中の人に知ってもらいたい。そこに知られていない先住民のコミュニティがあることを知ってもらいたい。一番の問題は、コミュニティの生き方と良き生活をするために都会に住む人にも伝えることである。アグロエコロジーの実践は都会にも知られている。こうして問題を共有していきたい。コミュイティのインパクトをローカルだけでなく広げていきたい。

モザンビーク女性A 女性たちの体験について話したい。様々な体験を交換し、どのような状況があるのかを共有していきたい。

モンザンビーク男性 これだけ多くの人が来ていただいたいことに感謝したい。外務省やJICAのするままにとどまるわけにはいかない。これからも連帯を増やしていきたい。プロサバンナへの反対に対していつか勝利宣言をするようにしていきたい。

グローバル化は人々を分断していくが弱きものたちがつながることは可能だ

池上名誉教授 農協つぶしの話もあったが新たなつながりの実践例はどうであろうか。

天明伸浩 ずっと、「つながり」というキーワードを考えていた。グローバリゼーションは、どうも人のつながりを切っていくということが改めて実感された。そして、それぞれの地域で実践事例を切っていくと。例えば、日本でも格差社会がある。食べ物が足りていない子どもたちがいる。それは国内でも人々が切られていることに他ならない。そして、今日はつながったと実感をした。では、なぜそれが可能であったのかというと弱さを持っていたからつながれたということであろう。

 彼ら、資本側にとっては、人々がつながっていくことが最大の恐怖なのであろうと。それが、世界の大資本と闘うために大切だと思った。

池上名誉教授 つながりに関して会場から多くの質問をいただいているが、観点を変えたかわった質問として、別の人にどうやって話したらいいのかがある。10万人がタネを作ればそれが10万倍になるという話もあったが、ここで1人の人が伝えていければそれが勝手に増殖していく。今日は、若い人も多く来られているのだが、将来、どうやってつながっていったらいいのだろうか。それは、食文化についても言えると思う。

若者たちとつながれば種を伝えていける

モザンビーク女性A 私の地域社会ではコメ、トウモロコシ、大豆、エンドウ、ピーナッツを作っているが、水が足りない。そういうコミュニティに暮らしている。

モザンビーク男性 連帯。すなわち、地元で種を交換しあうことは永久に次世代にタネを受け渡せるということである。私たちの文化に若者を取り込もうとしている。それがなくならないようにだ。そうすることで私たちの種子を守っていきたいと思っている。

池上名誉教授 実は、昨日、テレビコマーシャルで田舎に帰る子どもに対して某社のコンビニの母親食堂もいいというのをやっていた。そこで、こうしたことを聞いてみたかった。世界のバリューチェーンにコンビニはつながっている。そこを自覚しないといけない。しかし、そうした事実をどうやって知るのか。そして、伝えていけるのか。そこで悩んでいる。

小農権利宣言はどのように活かせるのか

池上名誉教授 また、既存の法的なリーガルフレームワークでもある程度は獲得しないと駄目である。まだ実行されていないだけであって立派な内容を持つ制度は多くある。そして、小農の権利宣言をコアにどうやって突破口を作っていけるのか。

ジルベルト・シュナイダー 1998年に伝統的なコミュニティについてILOで 議論があった。農村部の最もセンシティブなグループは、そこから追い出されたのである。米国においては、それは、先住民との戦いと言われているが、それでかなり前進ができた。

 そして、いま、FAOも評価している。国連のコップの気候変動コンベンションがいまエジプトで議論されるが、そのダイアログでもスペースを勝ち取ることができた。さらにはCSAでも食料の議論が進んでいる。その中で生じたスペースのニーズとして現れたのが世界中の農民が緑の革命、メガプロジェクトの投資、貿易協定によって、WTOの枠組みで追われているということだ。そこで、農民の権利を確保する必要性がでてきた。様々な機会での連携でいまの宣言ができた。ボリビア政府が味方をしてくれた。ボリビアが国連の人権委員会に掲げた。こうした味方してくれた政府がなければ国連での採決につながらなかった。望ましいものができたし、かなりの成果があると思っている。

2018112113S.jpg池上名誉教授 ファシリテーターとして最後に一言をもうしあげたい。第1部では厳しい話が出たが、第2部では、皆の幸せのためにいったい何ができるのかとオルタナティブが提起された。20世紀は経済的な豊かさを求めて邁進してきたのだが、最初の感想に戻るが、これからは幸せと豊かさに関して 文化度をいかに高めるかであろう。それが問われている(拍手)。

編集後記

 モザンビークからのパネラーが「我々はマネーがなくても生きられる。けれども、日本のフォーマルな指導はアグリビジネスばかりだ。そうではなく、日本はマネーを使わないでも生きられる我々にも学ぶことがあるのではないか」と述べた。このメッセージは非常に印象的だった。

Midori-Hiraga.jpg ちなみに、私は初日の20日になされた平賀緑博士の「日本の私たちと世界の大豆」という満州での大豆生産についての講演を聴き損ねたが、日本の商社が外務省と組んでモザンビークでやっていることは、豊かな農地に鉄道を引いて石炭を掘り、大豆等のモノカルチャーを強い、それを港から海外に輸出するという戦略である。そして、港の近くには農産加工工場もある。そして、遮断機も信号もないまま、これまで彼らが暮らしていた空間に資源を満載した鉄道が高速で突っ走るために子どもが引かれたりもしている。この地図を見ていて、まさに満州の大地を超高速でひた走る満鉄のあじあ号のイメージが重なった。日本の商社は戦前の亡霊を引きずっているのかもしれない。

 それはともかく、種子ひとつとっても、アジア、アフリカ、ラテンアメリカという大きな図式にあわせるとそれが地理的に大きく広がると同時にまさに、共通の事項によってつながっていることが見えてくる。

 同時に千葉県の三芳村はすでに南房総市として町村合併し消滅してしまっているのだが、それを京都大学という日本を代表する知性の山本奈美氏が草の根で地に根ざしながら再評価してくださっていることは本当にありがたいと思ったりもした。私は全共闘運動の中で有機農業運動を経験してきた故本野一郎教授や尾崎零氏よりは少し後の世代となる。とはいえ、1970年代から始まった戸谷委代さんや唐沢とし子さんたちの有機農業運動を80年代の学生時代にまじかに見てきた世代として、それを山本奈美氏や平賀緑博士をはじめ、次の知性へと警鐘していくミッションがあるのかもしれないと思ったりもした。
【画像】
船田クラーセンさやか博士の画像はこのサイトより
山本奈美氏の画像はこのサイトより
尾崎零氏の画像はこのサイトより
池上甲一名誉教授の画像はこのサイトより
平賀緑博士の画像はこのサイトより
(2018年11月23日投稿)


posted by José Mujica at 12:00| Comment(0) | 講演・学習会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする