2018年01月04日

長谷川満「種子をつなげる取り組み」

 2017年12月17日、「集まれ!車座トーク」と題して、大地を守る会相談役の長谷川満(1951年〜)による種子の話があった。氏は1975年に市民NGO「大地を守る会」 に参画し、有機農業の普及とともに週末は地元秩父で生産者として有機農業を実践してきた。以下はそのまとめである。

有機農業から見るとF1種は作りにくい

 種子が抱える問題は非常に大きい。というのは、江戸時代から明治にかけて、固定種や在来種が固定化されていく中では、化学肥料や農薬を使わなくても生産ができていたからである。埼玉県の農業試験場やタキイが昭和25年頃からF1の種子を生産していたが、在来種はこうしたエリート種子よりもはるかに病害虫に強かった。

 今は耐病性の品種と言っても農薬を使わなければなかなか生産できない。在来種、つまり、エネルギーを持っている種子の方が作りやすい。種子が持つエネルギー面からみてF1にはマイナス部分がある。

 また、日本全国の気候風土が多様な中で、北海道で栽培できる品種が九州でも栽培できるはずがないのだが、今のF1種子はどのような環境でも作れるようになっている。

各地方で様々な伝統野菜が育まれた江戸時代

 金沢には葉の裏が紫色の金時草(きんじそう)という野菜がある。もともと沖縄県では「ハンダマ」と呼ばれていた暑い気候に向いkinjisou.jpgた菜っ葉なのだが、当時の沖縄は薩摩藩が支配していて、それが隣の細川藩に渡り、「水前寺菜(すいぜんじな)」の名前で栽培されるようになった。この野菜を細川藩が江戸に持って来る。参勤交代で各藩の人々は地元産の野菜を食べたいからである。それを目にした加賀藩が細川藩に対して「くれ」と言ったのではないか、と私は思っている。そして、同じ水前寺菜ではダメでなので、金時草と呼ばれている。

狼信仰と札所巡りで栄えた秩父にある在来野菜

 さて、私は埼玉県の秩父出身である。30歳で結婚して、実家のある秩父に移住した。とはいえ、農家とはいえ、農地は80アールしかなく養蚕も不振であることから、15~16種類、種子取りをやっている。自分で種取りをしなければ説得力がないからである。これは「大地を守る会」が扱っている「昔野菜」「伝統野菜」である。最も、伝統野菜や在来種と言っても各県によってどう判断するのかが違い、どこで線を引くのかという線引きの難しさはある。

 さて、私の住む秩父だが、昔から丸大根を作っている。京野菜、聖護院大根がある。また、幅が広く大型の莢を持ち、「さやいんげん」として食べる「大滝いんげん」という在来種がある。

ootakiinngen.jpg 秋にはさやいんげんとして食べ、冬には中に実った白い種子を正月に煮豆にするのだが、とても美味しい。モロッコインゲンとも呼ばれる「平莢いんげん」の一種だが、これと似たものが岐阜にもある。秩父には34番札所があり江戸時代には札所周りが盛んであった。また、三峰神社も信仰を集めていた。江戸時代には秩父山中に生息するオオカミがイノシシから農作物を守ることから、眷属・お犬さまとして崇められるようになり、三峰神社から狼の護符を受ける「御眷属信仰」が流行していた(1)

 このため、全国各地から種子が持ち込まれた。例えば、江戸時代のお伊勢参りのお土産はタネが多かった。つまり、種子の全国各地の移動があったであろう。そのような中で、平莢いんげんと似たものが人の移動とともに移動して生き延びたのである。大滝いんげんは秩父だけしかない。

温暖化で混乱する農業生産

 いま、地球温暖化によってブドウも山梨県や長野県では赤いブドウがよく色づかなくなっている。白ワインならばいいが赤ワインであると赤が出ないとよくない。青森県でも早生の津軽が赤くならない。温度差がないため着色しないという現象が起きている。農研機構は温暖化が進む30年先を見越して、青森県に試験的に桃を植えている。30年先には、リンゴは北海道が主力産地となり、関東が温州みかん産地になるという。そこで、富山県や新潟県でミカンを植えている。世界で100年で1.2℃上昇するという。

 ここ6年、私は有機農業を普及するため、年4回、中国にでかけているが、今年(2017年)、石炭の使用が禁止になった。農業において石炭暖房は一切禁止されている。そして、一気にこれを天然ガスに切り替えるために混乱している。要するに、様々な意味で地球温暖化は農業生産に大きく影響する。

 とはいえ、野菜は1年ごとに環境に応じようとするため温暖化になったからといってできなくなるわけではない。伝統野菜や固定種は少しは変わっているかもしれないが、なくなりはしない。

自分で作る在来野菜

 ナスもタキイの千両2号を戻し交配をしていくとだんだん固定していくため自分で育種している。どちらの親になるかわからないが、自分の名前が「満」なので、「満両ナス」と命名している。これも売らなければ別にいいのではないか。キュウリも今の作っているものは中国から来た「四葉(スーヨー)がベースである。本葉が四枚付いた頃から実がなり始めることから「四葉胡瓜」と名付けられたが、中国華北系の品種で、昭和19年に韓国から導入されたと言われているが(2)、育てていれば、その人なりの好みの野菜が最終的に現れる。

 果樹は難しいが1年ごとに世代交代するため10年で固定種にしても自分ごのみのものができる。「信州の伝統野菜」にも認定された長野県坂城町の「ねずみ大根」もケツが割れがちなので、割れていないものを目で確認して、残して選抜することで自分で辛味大根を作っている。この辛味大根を大きくしていきたい。

コマツナと唐辛子

 さて、このところ、秩父は氷点下2、3℃で葉が黄色くなっているが、これが「ごせき晩生小松菜」である。徳川吉宗(1684〜1751年)が江戸川にある青菜を小松菜と命名したぐらい、小松菜は、江戸東京の伝統野菜である。

 江戸時代に小松川村の椀屋九兵衛が、隣村の葛西菜から改良したと伝えられる。1804年(文化元年)に「小松川地方の菜は茎丸くして少し青く味旨し」と記録されている。丸葉で淡緑色が元来の姿で全国各地の菜類が江戸で複雑に交雑してできた雑種系の菜らしい(3)。けれども、今の小松菜は収量をあげるためにチンゲン菜の血が入っている。このため、軸に苦味がある。

gosekikomatsuna.jpg 一方、江戸時代からの小松菜の種子を細々と取ってきたタネ屋が北区にある日本農林社や「後関種苗」である。小松菜発祥の地、江戸川区にある後関種苗が、昭和25年から晩成小松菜の一系統から集団淘汰を続けて固定し、昭和38年に「ごせき晩成」と命名して市販したものが「ごせき晩生小松菜」である。「晩成」の名の通り、トウ立ち遅く、食味が大変良く、甘く、柔らかい。現在、後関種苗は廃業したが、野口種苗が扱っている(4)

 また、世田谷区や大田区のような城南の団地向けに固定され明治中期から栽培されてきたのが「城南小松菜」である(5)。「ごせき」にしても「城南」にしても軸が苦くないのだが収量が多くないため市場には出ていない。つまり、在来の小松菜がある一方で、チンゲンサイと掛け合わせたF1の小松菜がある。後者はボリュームがあって見栄えは良いのだが食べてみると味が違う。

 内藤トウガラシも東京江戸野菜だが、信州高遠藩主である内藤家の屋敷内の菜園(後の新宿御苑)から広がった野菜のひとつで、四谷や新宿界隈で作られていた。1810年(文化7年)~1825年(文政8年)にかけて幕府が編纂した「新編武蔵風土記稿」には「世に内藤とうがらしと呼べり」と紹介され、秋に近隣の畑一面を真っ赤に染める景観は壮観であったという(6)

秋元浩治氏(写真左) 在来野菜は、大地の会で会員内会員を集って種を守るためにやっている。「日本むかし野菜」として扱っている。そのひとつ、「九年母(くねんぼ)」は、9年でやっと実るのでクネンボ。熊本の果物で種子が多いがポン酢にすると美味しい。

hasegawa.JPG「焼畑あつみかぶ」は、山形県鶴岡市の在来品種で、焼畑栽培。1000年ぐらいも続く伝統的な焼畑によって作られている。間引きもせず、作付の後は、木を伐採して燃やして栽培している。蕪には北方のシベリア経由できた西洋種と東洋種があるが、西洋種の方が細胞が密で硬い。細胞が細かいと日持ちする。これに対して、今の蕪は経済合理性が重視されるため、長持ちするものが少なく早くしなびてしまう。

「唐の芋(とうのいも)」も非常に古く浅草の酉の市の名物として浮世絵にも出ている。群馬、茨城、千葉県で作っていたりして、探してみると持っていたりする。

 ここ2、3年でF1の持つ雄性不稔や遺伝子組換えが問題視され、大地を守る会を始め在来野菜を見直そうという動きが少しずつ出てきている。イオンも動き始めている。見栄えは悪くても消費者が味を認めるのであればそれを生かすことができる。

編集後記

「はじめに」でも書いたとおり、愛用のMacbookが壊れた。もちろん、マックのことだ。情報を更新する「タイムマシーン」という機能が付いているため、過去に打ち込んだデータを喪失したわけではない。とはいえ、ある種の空虚感を覚えたりもした。

 このブログを始め、パソコンに打ち込んだ様々な情報は「趣味」とはいえ、自分の人生そのものである。読んだ本の内容や理解した新たな学びを自分なりにぎっしりと詰め込んでいる。とはいえ、こうした情報も一瞬にして「無」に帰する。「諸行無常」。ブッダの教えを痛感した一瞬だった。

 そして、パソコンが壊れるのと同じく私も死ぬ。そう思えば社会的地位もマネーも一切が虚しく思える。

 けれども、それに対して「種子」の重みはどうであろう。

 野口勲氏は著作の中でこう書いている。

「そのタネを播くことは、食の安全・安心のためではない。あなたがなくなった後も、家族の手によって採り継がれ、子孫の身体の一部になれば、そのとき、あなたは永遠の一部になるだろう(7p174)

 そう。人間が作ったデータは、パソコン上のデジタル情報であれ、和紙に描いた文字情報であれ、石に刻み込んだ象形文字であれ、いつしか消えていく。けれども、生命の情報は消えない。その生命が滅びない限り、未来永劫、連綿として継承されていく。となれば、「種子」を守ることは一番大切なことなのではあるまいか。

 演者の長谷川満氏から「よかったらどうぞ」と秩父にしかないという「大滝いんげん」の種子をわけてもらった。この種子を増やし欲しい人に譲渡し、この未来へと残していくこと。それだけでも、この私がこの世に生を受けた意味があるような気がした。
(2018年1月4日投稿)

【画像】
金時草の画像はこのサイトより
大滝いんげんの画像はこのサイトより
ごせき晩生小松菜の画像はこのサイトより

【引用文献】
(1) ウィキペディア:三峰神社
(2) 旬の食材野菜「キュウリの品種四葉胡瓜」
(3) 野口のタネオンラインショップ「早生丸葉小松菜」
(4) 野口のタネオンラインショップ「ごせき晩生小松菜」
(5)城南小松菜(伝統小松菜)江戸東京野菜JA東京中央会
(6) 内藤トウガラシ江戸東京野菜JA東京中央会
(7) 野口勲『タネが危ない』(2011)日本経済新聞出版社


posted by José Mujica at 07:00| Comment(0) | 種子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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