2018年01月21日

印鑰智哉氏と語ろう〜長野の種と食

日本のコメ、麦、ダイズの種子の自給を支えて来た法律はもうない

 昨日(1月20日の僕の講演)も聞いた人もいるので、日本の食がどうなっているのかについて話、それから、質疑に答えたい。さて、種子法の廃止とは何か。日本のコメ、麦、大豆の種子、日本に必要な種子を国と都道府県が守ると決めていた法律。これが3月31日まであるはずなのに、農水省は11月15日の通達でさっさと「もうやめた」と言ってしまった。今後は、「日本の食」を守る上で重要であった法律がもうなくなる。

 さて、食料自給率は4割を切っている。かつ、守って来たのは、コメ、麦、大豆の種子でしかない。野菜の種子の生産はもはや海外に言ってしまっており、自給率は10%。野菜も自国では封鎖されたら作れない状況なのである。けれども、種もみはほぼ100%自給できてきた。コメは加工品のカタチで「ミニマムアクセス」で入ってきてはいるが、種もみは日本で作られて来た。それを支えて来たのが種子法である。

世界の種子を支配する『化学企業』に種子が奪われることが危険

 さて、一番危惧されるのは、都道府県が作って来た品種を「民間企業に渡せ」ということになっていることである。

 事例をあげれば、住友化学、三井化学、日本モンサント。これら三つの会社は化学企業である。つまり、これまでは化学薬品を作って来た企業である。例えば、モンサントは環境を壊す毒物、DDT等を作って来た企業である。こうした化学企業が種子を独占する形になっている。これまで5社で5割を支配してきたが、このままでは4社で7割が支配される。

種子育成は儲からないから行政がやってきた

 さて、種子産業はもともと儲からない産業である。日本において農家の経費で占めているのは2%にすぎない。入るお金も少ない。さらに、毎年播種しなければダメになってしまう。毎年更新も必要である。そして、1品種を作るためには10年はかかる。つまり、儲からず、手間もかかるのが種子。なんとなれば、民間がやるはずがない。だから公共がやってきた。

化学窒素肥料は第一次世界大戦中の爆弾製造技術から誕生

 では、なぜ、大手化学会社は種子に関わろうとするのか。実は、種子、化学肥料、農薬を3点セットで売っているからである。これを「緑の革命」と呼ぶ。けれども、緑の革命には大きな問題がある。それを理解するには「緑の革命」の歴史を振り返ってみる必要がある。

 まず、化学窒素肥料はどうやって作るのか。昔は鉱石(硝石)から作って来た。けれども、1906年にドイツの化学者フリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868〜1934年)が大気中の窒素からアンモニアを作り出す技術を発明する。実は、硝石は火薬の原料である。時は第一世界大戦である。そして、硝石はチリの鉱山しか得られない。そこで、チリから硝石を輸入できなくすればドイツが敗北するであろうと、当時、七つの海を支配していたイギリスは考えた。そこで、ドイツと戦争しても大丈夫だと戦争を始めた。けれども、ドイツは砲弾を作り続け戦い続けた。その秘密は化学工場によって空中窒素を固定していたからなのである。その技術を戦後、戦勝国が持ち帰る。つまり、肥料を作ることは化学企業が儲かることなのである。

土壌中での植物と微生物との驚くべき共生関係

 さて、窒素肥料は昔は石炭を燃やすことで作っていた。今は天然ガスである。ということは、農地に化学肥料を入れるということは化石燃料を燃やすことでもある。

 気候変動というと、その原因として必ず指摘されるのが、工場からの排煙や車からの排気ガスなのだが、それを全部足してもファクトリーファーミング、工業型の畜産業から出されるメタンガスよりも少ない。つまり、化学肥料もそうなのだが、温暖化の責任の半分以上は工業型農業にある。ということは、食を変えなければ農業が変わらず環境が守れないということになる。

 以前は輪作をしたりして地力を維持し生産性をあげてきた。けれども、いまは、そのようなことをしなくてもよい。そのため、土壌がボロボロになって来ている。

 実は、植物の光合成は地球上における究極の再生可能エネルギーとも言えるのだが、植物は自ら作り出した炭水化物の4割も土壌に放っている。土壌中の細菌に与えている。無駄のように思えるが、地下に「投資」することによって餌を与える代わりに土壌細菌からミネラルをもらっている。そして、植物はこうしたミネラルがなければ健康に生きられない。窒素やリン酸も微生物を介して得られている。いわば、地下で共生関係ができている。ところが、化学肥料を与えると植物は楽して養分を得られるためか地下に炭水化物を放出しなくなる。結果として、土壌中の微生物相は痩せ、植物は不健康となり、農薬が必要になっていく。

リン鉱石を使うことは放射能を蒔くことに他ならない

 リン酸も以前のチリ硝石が枯渇したため、いま、リンはリン鉱石から取っている。このリン鉱石はそれ以外の鉱物とともに産出する。どのような鉱物かというとウラン鉱石である。そして、ウランは微量だが放射性物質が含まれている。このウランは化学的には取り除けるのだが、コストがかかる。そこで、分離されないままのリン鉱石となっているのである。つまり、汚染された化学肥料を散布することとはウランを散布することに他ならない。濃度からすればごく微量だが、調べてみるとそうした畑では放射線が出ている。そうした研究も出されている。また、化学肥料はいずれ枯渇する。リン鉱石はあと30年、50年で枯渇すると言われ、化学窒素肥料も天然ガスがなくなれば作ることはできない。

爆弾製造で利潤をあげた戦争企業が種子支配に手を伸ばす

 ということで、こうしたものに依存しない農業が作らなければならないのだが、原発産業と同じである種の利権村ができている。その元をたどると爆弾を作る技術から化学肥料が生まれたことにゆきつく。戦後不要になった爆弾製造プラントと同じ場所で肥料が作られたからである。それが緑の革命。つまり、農業は化学企業に支配される時代になったのである。モンサントはマンハッタン計画にも参加していたしDDTも作っていた会社である。バイエルの種子部門を買収したバスフ(BASF)も爆弾を作っていた戦争企業である。

 さて、爆弾づくりで彼らの利益は巨大になる。そして、種子を握りセットで売ることで農業も支配できてしまう。さらに、他に手をつけられないように1996年以降、種子を支配する独占体制になって来ている。

 パソコンであればOSがマイクロソフトとマックだけになっているように、遺伝子組換えでもラウンドアップ耐性がスタンダートになっている。バイエル社であれデュポン社であれ、ラウンドアップ耐性の特性を入れなければ売れない。そして、彼らもモンサントに特許料を払っている。種子を売った利益の8割がモンサントに行く。つまり、これだけモンサントの支配力が大きい。

 また、種子だけを見ているとそちらに意識が向きがちなのだが、実は問題なのは種子だけではなく、農業のあり方そのものが決められてしまうことにある。

世界ではアグロエコロジーが主流となりつつある

 けれども、広く世界を見てみればそうしたことを止めていく方向に急転換しつつあることがわかる。リン鉱石も窒素化学肥料の燃料の天然ガスも枯渇する。そして、毒にもなるとなれば当然である。この動きは日本ではまだ萌芽状態にあらうが、世界各国では本格化している。米国では有機農業が毎年30%の増加率で増えており、キューバは自給できていないが70%がアグロエコロジーである。ブラジルにも大きな運動がある。オーストリアも全農産物の2割が有機であり、フランスでも運動が高まっている。モンサントの収益の屋台骨を支えて来たのはグリホサートなのだが、これを世界中が禁止し始めようとしている。フランス、イタリア、オーストリアは3年以内に禁止する。さらに、ドイツでも新政権が止めることとなろう。

 また、フランスではアグロエコロジーの法制度すら定めた。アグロエコロジーとは、日本で言われる有機農業よりも幅広い概念で、「食」を社会の中心に据えて生態系の力を引き出し生産していくというやり方である。

学際的な学問分野で運動でもあるアグロエコロジーが世界を席巻

 アグロエコロジーが面白いのは、作る人のあり方をそれが問うことである。例えば、男は戦争をしたりして来たのだが、世界の農業のほとんどは女性たちがやって来た。そして、男は借金して事業をして返済したりするのが好きである。また、機械を使うのも男性である。それに対して、種子の保全のような繊細なものは女性が大きな力をもってやっていた。

 いま、JAの会議とか出てみると全員が男ばかりである。けれども、本当の主体は誰なのか。誰が食べてきたのか。そこで、アロエコロジーでは、文化の復権も含まれ、文化人類学、生態学、医学とあらゆる範囲を超えた学際的なものとなり、そこには、精神のあり方も含まれている。つまり、それらを含んだ主体性を取り戻す。また、社会運動であると同時に生態系の力を引き出す科学でもある。つまり、農業の実践であり、学者が社会運動をしなければならないのである。

 面白いのは、いま、ヨーロッパ、ラテンアメリカの大学にはアグロエコロジー学科がある。ブラジルでも先住民の文化を学ぶことになっている。日本にはないのだが、世界はそうした状況になっている。

わずか150年で世界の土壌を消失させる近代農業

 さて、今の化石燃料を用いる農業であると後60年で土がなくなってしまう。土壌細菌が餌がもらえない状態にあるからである。そして、共生菌が病原菌から植物を守っている。腸内細菌が人間の健康を守っているのと同じだ。土壌細菌がなくなれば、病害虫被害を受けることになる。こうした自然界で起きているしっぺ返しのひとつがバナナが絶滅危惧種になっていることだ。いまはキャベンディシュ種だけになっているため遺伝的多様性がない。そこで、菌病に強い遺伝子組換えにしようとしている。

 驚くべきは土壌がなくなる危機が始まってから、つまり、近代農業が始まってからたった70年しか経っていないことだ。それが、後60年で土壌がなくなってしまうという。世界中の科学者たちがそれをやばいと憂えていることは、国連のサイトをみれば、わかる。そこで、2015年を「国際土壌年」とした。人間の腸内細菌も壊されている。自然も壊れている。化学肥料、農薬ではダメなのである。

近代農業よりも優れた古代農法アマゾンのテラ・プラタ

 さて、近代農業は生産性が高いと言われているが、実は、それよりも生産性が高い農業がアマゾンにある。アマゾンは熱帯土壌でもともと農業には適さないとされ、土地を乱開発しては森林を伐採したりしているのだが、ここには、エル・ドラド伝説、黄金の国の伝説がある。ヨーロッパ人たちはこれを探し求めて冒険をしたが、その後、科学者たちはエル・ドラドは伝説で存在したはずがないと結論を下した。1000万人を養えるだけの土壌がないからである。

 けれども、2001年にテーラ・プラータ(テラ・プラタ)が発見される。

image005.jpg さらに、その土は掘って売ってもなくならない。なぜかというと再生復活するからである。こうした土壌細菌を養う技術を500年前の先住民たちは持っていた。さらに、土壌に炭水化物を多く固定できるということは、大気中の二酸化炭素を吸収し固定できることでもある。それは、気候変動を止められることを意味する。

 もし、この農業を広げれば数年で回復できることがわかっている。では、こうした土壌を作った先住民はどうなったのか。病原菌で絶滅してしまった。けれども、その末裔が持っている言語は複雑な言語である。おそらく1000万人の国家でないとありえない単語が多くある。そして、テーラ・プラータからは様々な食器が出てくる。

 そこで、今オーストラリアやブラジルで必死にその研究がなされているが、まだ現代技術でもテラ・プラタは作れない。私たちは500年前の技術にまだ到達していない。

大規模から小規模家族農業への分散化はアグロエコロジーと一体

 さて、アグロエコロジーになれば環境が守られ、社会問題も解決でき、紛争も減っていく。ということで、共通農業政策(CAP)を見直せという運動が起きている。というのは、アグロエコロジーは分散型の小規模家族農業しかできないからである。

 イギリスにはアグロエコロジーの議員連盟ができている。イギリスの政策を進めるための市民ネットワークもできている。フランス政府はこれまで大規模農業を進めてきたが、アグロエコロジーを推進する法律を策定した。そして、2014年9月にはFAOも国際シンポを開いた。これに対して、農水省は国務大臣も送り込んだ。その結果、どうなったのか。アグロエコロジーは有機農業の企業的センスアップ。ブランド化だとした。

 小規模家族農業こそがアグロエコロジーの根幹であるはずなのにそれを無視している。日本政府は民間企業一本やり。世界的に見ても最も愚かな政府と見られてしまっている。

 もちろん、企業的な農家が頑張るのは大事なことだが、川下から川上まで一貫して住友化学やカーギルのような大企業を利するため市場法までなくす。ここまで酷くなっているのは広く世界を見回しても日本だけではないか。

大規模企業的農業は過去の物語〜いま小規模家族農業が着目されている

 要するに、世界は戦後に作り出された工業型農業とお別れしつつある。それに対して、なんとか蓋をしようとしているのが化学企業が作った仕組みである。例えば、住友化学が作ったお米を使いたければ、どうするか。普通の種は買える。けれども、つくばSDは買えない。所有物ではなくライセンス契約になる。そして、住友化学のタネを転売することは犯罪になる。もちろん、買取価格が落ちないというメリットがあるが、契約収量よりも落ちた場合は農家の責任となる。また、消費者のニーズに応じて減農薬することはできない。契約違反になってしまう。どれだけ農薬や化学肥料を使っているのかは監視されるようになっている。

 このように見ていくと、民間企業のコメのメリットがあるのは大規模生産だけであり、日本には大規模生産できる農家はほとんどいない。ほとんどの農家には利益がない。

 まず、民間企業の種子の種代は10倍である。高いコメの種子を買わなければ農業ができなくなる。これは、小さな農家を止めさせ、農地を集約させて企業型農業にするという農水省の発想である。けれども、それはもう古い考えである。社会の食料保証を危うくすることが、明らかになった。例えば、2008年にリーマンショックがあったときに、金融で融資された農業、大規模な企業的農業は生産を放棄し世界が飢餓状態に陥った。そこで生じるはずの飢餓を食い止めたのは小規模家族農業だった。そこで、FAOは世界が食糧危機になってしまうことを恐れ、2014年を「国際家族農業年」とした。けれども、これに対して、ほとんど何も言わないのが日本国政府である。おそらく、日本政府は小規模農家が消えてくれればいいことを望んでいるのである。

 けれども、農地はこれ以上広がらない。開発することができない。となれば、今ある農地をどう活かすかになる。大規模農業の生産性は低い。単位面積あたりの栄養価の生産性でみれば、小規模農業の方がはるかに効率が高い。

 意外に思えるが世界にあるわずか2割の農地で家族農家が人々の食料を生産している。地球上の食料の6割はわずか2割からなる小規模家族農業が作っている。そして、今、土地がないためにそれを求める運動が盛んになっている。ブラジルでも土地を求めた土地なし農民たちは、最初は「緑の革命」式の農業をやっていたが、20年前にアグロエコロジーに大転換した。では、大規模農業は何をしているのかというと、家畜の餌、バイオ燃料を生産している。

 鳥もいて、虫もいて、さらには目に見えない細菌たちによって私たちは生かされている。命をもらっている。それが失われようとしている。こういう農業をシフトさせるうえで鍵となるのが、雑穀や古代小麦である。それらは、生命力が強いので農薬や化学肥料がなくても育っていく。一方、化学企業の種子は化学肥料を入れないと育たない種になっている。そこで、在来種を守ることが大事である。農家だけでなく、全ての消費者がそのことをわからないといけない。

アグロエコロジーへと向かう世界の中で日本政府だけが逆行している

 なるほど、国際間の取り決めでは多国籍企業はロビー力を持つ。彼らは、アフリカでも種子を奪おうとしている。けれども、今、世界はわずか1%の企業を止めようとしている。戦いは99%vs1%である。それに対抗するためのネットワークもできている。つまり、アグロエコロジー的な未来は実現可能である。

 にもかかわらず、日本政府だけが違う。世界的に見てもかなりひどい状況になっている。

質疑応答

種子保全をするための住民参加型の予算を

HM 種子の保存が大切である。けれども、タネを出荷し、それから発芽実験を する。そして、8割の種子が発芽しないと認定されない。80%芽が出てやっと入金になる。種取り農家は1年は入金がない。圧倒的に金銭面でコストがかかる。儲からない産業である。そして、これまでは種子法で守られてきたが、今の種取りのコストをどこかで負担していかないと国内で遺伝資源を保存することが経済的にリスクが大きい。

印鑰 まさにおっしゃる通りで、それを支援するための声を出さなければいけない。けれども、いま、それとは逆の動き、農家に金を出すことはバラマキであるとの批判がある。けれども、ブラジルは違う。それを支援する法律ができている。例えば、ブラジル政府は予算を取っているが、それをどのように何に使うのかは地域の農家と決めることとしている。つまり、役人や議員が事業を決めるのではなく予算の使い方や決定にも住民が関わる。関係者と決めていく。参加型予算である。そして、政治参加をしていく。

 いま、日本では米価が抑えられて種もみ価格も抑えられている。種もみを作るのがほんとうに大変である。原原種はわずかしかない。農業試験場でそれをやるのだが、1本、1本チェックして間引き、いいものしか残らないようにする。効率が悪いがそれが原種となっている。それを何度もチェックする。また、交雑してはいけないのでスキルのある農家しかできない。収入もあがらない。

 もし、それを民間企業が出てきてやるとなれば、例えば、タイランドで作れば安く作れるということになろう。すると、種を作って来た地域が国内でなくなってしまう。どうやって守るか。お金をどうするか。こうした課題を市議会や県議会にぶつけていかないといけない。

長野が世界に誇る在来種を守るための税制度やサポートシステムを民間の手で

HM 長野県には森林税があるが、まさにそれと同じで公共財である。種子税というカタチで県民に財源を訴えて行く必要がある。

MN 東京でも長野県産のダイズから作られた食材を食べたりしている。それを「見える化」することが必要。例えば、長野にある「ナカセンナリ」や「すずほまれ」「ギンレイ」といった品種を実際に見て、それを品種毎に応援する基金を作ってみたらどうだろうか。いわば、種子の「クラウドファンディング」。そして、投資者には美味しい豆腐が食べられる特典があるとか。東京ではストレスが溜まるが、昨夜、いただいた豆腐は素晴らしい味だった。それだけでも長野に来た甲斐がある。食は観光の要素として、観光政策としても外国人にもPRしていける。IWさんのように英語が堪能な人に発信してもらおう。ネットはグローバルなのだから。そして、種子はバーチャルな情報とは違い、「ここ」の場でしか食べられない、味わえないという具体性がある。

印鑰 そう。長野県にどのような在来種があるのか。是非知ってみたいし、そうしたことを消費者が評価することは必要。廃止される側の試験場や原原種センターからは我々を残してくれとは言えない。外部から、とりわけ、消費者がサポートの声を出していくことが必要。

ドイツと違って日本の食への意識は低い

KM この問題の根は深い。健康意識が違うから根が深い。実は、私はお子さんたちの団体に入って健康食について話すのだが、「コンビニのおにぎりがダメだ」というとお母さんたちが怒る。「子ども好きですから。手作りのものを作る時間がないです」と。こうしたお母さんたちは何を考えているのかというと「体に悪いものを政府が売るわけがない」と。

 いまの健康保険制度が間違っている。国家予算30%となっていて、それも高齢者のためのものとなっている。医療費がかからないため深刻に身体の問題を受け止められない。放射能のときもそうで、喉元をすぎればすぐに忘れてしまう。教育から治していかないと根本解決にならない。

 印鑰先生が言われたように、いま、欧米諸国、とりわけ、ドイツでは、オーガニック・スーパーが大流行している。それも金持ちではなく、ごく一般のサラリーマンたちが来る。なぜかとインタビューすると「体にいいから」と。体に悪いものをたくさん食べるのであればいいものを少し食べたほうがいい。僕は実は毎日1食しか食べていない。それでも健康である。GMOも誰も買わなければ作れなくなる。そういう運動を根本からやっていかないとならない。種子法廃止といっても「それって何のことなの」と言われてしまえばダメある。食育から変えていかないといけない。

北海道は独自の種を守っていく覚悟がある

MN 種子法が廃止されることに伴ってこれからどんなことが起きるのだろうか。各都道府県はどのように対応するのだろうか。

印鑰 県によって異なる。例えば、北海道のコメは昔はまずかったが、税金を使って品種改良を重ねることでお美味しいコメを作れる技術を開発した。もちろん、門外不出である。そこで、品種を守ることで以前から独自ルールを設けて来た。

 問題は種子計画がなくなることである。原原種をだんだん増やしてお米の籾殻を生産するには4年かかる。富山県の種は全国が欲しがり、他府県からも注文を受けている。そこで、他県以上に生産している。一方、東京都のような自治体は生産いていないだろう。つまり、国の法律がなくなったことで、全国の都道府県の農業試験場が歯抜けになっていく。まさに無政府状態。米国には19世紀にできた州法がありいまも種子の3分の2を支えている。その法律は変えていない。イギリスも一度民営化して大問題になったが長い期間をかけて修復をしている。

既得権益を守るというレッテルを貼られた農協

T なぜ農協は反対しないんだろうか。

印鑰 彼らは、政治的なアクションはできない。農協も全国レベルでは反対はしている。

KM 長野は反対意見を出さなかったと聞くが。

印鑰 農協は既得権益集団というレッテルを貼られている。もちろん、農協が改めなければならないことは多くある。けれども、大切なことはタネが公共財産であること。大切なことは消費者団体、個人が守る声をあげていくこと。そして、みんなで事実を知る勉強会を開くことが重要。例えば、種子の開発者の声を聞くというのもよいアイデアだと思う。

署名活動で種子法問題は解決できるのか?

KM どれだけの数の署名を集めれば現状を止められるのだろうか。

Yasue-Funayama.jpg印鑰
 おそらく、どれだけの署名を集めても今の内閣は無視するであろう。そこで、国会レベルではいくらやっても意味がないとは思うがやらないよりはやった方が良い。何かしなければならない。そこでポイントとなるのが、各自治体で意見書を出すことである。それも、自民党が大事である。国会でも船山康江(1966年〜)議員がガンガン追求していたら手を叩いていたのは自民党の議員であった。もちろん、官邸主導の政治だから自民党の議員さんでも変えられはしない。けれども、実は、自民党の議員も反対であった。さらに、政策だと抽象的だが、タネは物理的な存在である。歴史が育んで来た文化の元が失われて良いのかという論理には、おそらくどの保守の自民党議員も反対できまい。自民党を中心に全部の自治体が中央政府に請願を出す。そこまでいってやっと動かせると思う。

急激に変えられた背景には規制改革推進会議がある

印鑰 1952年。サンフランシスコ条約の翌月に種子法は作られた。そして、機能していた。それが一昨年の10月に「規制改革推進会議」によっていきなり廃止が決められた。戦後、70年も機能してきた法律である。こうした法律を廃止するともなれば、各政党の担当部会で検討される。「国会で審議するな」という声もあがるはずである。それが、昨年の2月10日に閣議決定され、わずか2ヶ月で通っている。さらに、種子法廃止の問題をどのマスメディアも伝えなかった。日本農業新聞は僕らが院内集会をやったことで書いてくれたのだが。そこで、2月11日に枝元なほみ(1955年〜)さんと一緒に集会を開いた。今日よりも小規模である。そこに、山田正彦元大臣がふらりとやってきて、「これは大変だ」と。

 もともと僕はブラジルやラテンアメリカの動きを伝えるのが役目だと思っていたし、俺がやっていいのと。けれども、これまで農民運動をやってきた人たちが動かない。そこで、やらざるを得ない。

無邪気に生命をいじくるニュー世代の科学者たち

印鑰 小農家を追い出し、企業が農業に参入すれば利益があがる。そして、日本国政府そのものが遺伝子組換えを本腰を入れてやるようになってきている。これに対して、不安な人がいるのを払拭するため、モンサントは「遺伝子組換えが素晴らしい」というビデオを大学生たちに作らせている。いま、バイオテクノロジー関連はすごい予算が付いている。

 そこで、こうした学生たちに遺伝子工学が危ないという話をすると逆に批判されてしまう。

 アルバート・アインシュタインは原子核研究したが原爆はやりたくなった。つまり、研究として宇宙の成り立ちを物理学として追究することと、それを原爆として応用することには大きなギャップがある。それをアインシュタインは悩んだ。けれども、今のバイテク技術者たちは悩んではいない。むしろ、生命がいかに生まれたのか。ようやく、その真理が見えて来ているとして興奮している。自分たち真理を持っているとして、誰かを傷つけたとしても心理的なダメージを受けないし、アインシュタインが持ったであろうような悩みがない。さらに、大学の研究予算は以前は6〜7割が国家のものであった。そして、科学者には公共のために戦うという意識があった。それが、今は企業のために働くことが良いとなっている。つまり、正義心の基準がかわっている。

 放射能問題であっても日本では医学者からの協力を得られない。得られるとすれば引退した学者である。現役は難しい。それに対して、米国では、自閉症で苦しんでいるお母さんたちをお医者さんがバックアップしている。そして、かつて健康状態が酷かったのが治っていく子どもも増えている。

 そこで、僕は誰もが自炊をしないといけないと提案している。消費者が選ぶ選択肢がなくなってしまう。

KM 白澤卓二先生は希であって、GMOが危険だと言っている。

HI 言わんとすることはわかるが、シンプルにどこか落とさないとあまりにも問題の範囲が広すぎてピンとこない。消費者としてわかりやすいのは味である。そこで、有機食材と慣行栽培食材とを同じ味付けで食べ比べるというイベントをやってみるとか。

KM それは非常に難しい。例えば、フランスのパンは日本のフランスパンと違い、時間をおくと本当にカチンカチンになってしまう。本物の方がまずくなってしまう。一方、「とねの恵み」は青山のフランス料理店でもでるのだが、本当に美味しい。

印鑰 アスペルパームは蟻すらも避けて食べないという。けれども、人間の味覚は甘いと思ってしまう。人間の感覚だけに頼ることは難しい。

KM コンビニのおにぎりはトランス脂肪酸でコーティングしている。だから冷えれば食べられたものではない。

科学的真実を巡る情報戦

Gilles-Éric-éralini.jpg 印鑰 さらに、難しいのは、遺伝子組換えでは独立の研究が許されないことだ。研究すらできない。そして、研究を出した雑誌を攻撃する。例えば、遺伝子組換え農産物については、2012年にフランスのカーン大学のジル=エリック・セラリーニ(Gilles-Eric Seralini,1960年~)教授がモンサント製の遺伝子組換えトウモロコシ「NK603 」系統を2年間も長期間にわたってラットに食べさせるとガンになることを証明している。どのようにして、モンサントのトウモロコシを手に入れたのかはわからないが、これは完全にモンサントがやったのと同じ実験をしている。

 そして、これに対して、モンサントが批判した。それによって、教授は誤っていたということになった(注:例えば、このサイト、FOOD COMMUNICATION COMPASS の2014年4月11日付けの記事『週刊文春さん 一杯食わされましたね〜「遺伝子組換えに発がん性」説を読み解くリンク集』を見れば、「まともなメディアは、セラリーニ氏のこの実験結果を書かない。日本の全国紙だって、科学的にあまりにも明白な話だから取り上げない」として否定している)。そして、「これが嘘だ」と言っているのが日本政府の立場である。

 けれども、実は、セラリーニ教授はその後に、勝っている。捏造だと言ったモンサントの批判がいかにおかしいかが明らかになって海外的にはヒーローである。けれども、その後の経過をマスメディアはいっさい伝えないのである。

日本は世界最大の情報貧国

印鑰 皆さんは、日本は豊かで情報がいっぱい得られると考えているであろう。けれども、事実は違う。例えば、ラテンアメリカを例にあげれば、ドイツとかはブラジル在住20年といった記者が現地にいて記事を執筆している。ブラジル人すらも知らないような情報を得て、それを本国に送っている。だから、ドイツ人はそうした記事を読める。けれども、日本の場合、ラテンアメリカ全域にたった派遣員されているは1人である。それも、スペイン語もポルトガル語もできず、現地で日本語ができる人を雇ったりしている。NHKの記者や朝日の支局長とも現地で付き合っていたが、僕がレクチャーしたりしていた。大使館も同じである。そして、彼らは現地の日系進出企業と付き合ったりしていて現地の人とは付き合っていない。むしろ、彼らの家族、帰国子女の方が現地のことに精通したりしている。

 モザンビークのように貧しい国ですらブラジルで何が起きているのかを知っている。そして、ブラジルのアグロエコロジーがモザンビークにモデルとして伝わっている。本当の情報を得ることが生き死にかかわる厳しい状況におかれているからだ。

遺伝子組換えで生産性が高まるというのはペテンである

MN 昨日見た映画の中でGMOを栽培するには食料が足りないので仕方がないという文脈があった。GMOが危険だと言っても、反応しない人たちは自給率の低さを憂えている問題もある。けれども、実は食料は足りていて分配の問題、食料を買う所得が得られるかどうかだという指摘もあった。GMOでは本当に生産性が高まるのだろうか。

印鑰 遺伝子組換えの方が生産性が高いというのは明確な嘘である。二ほど研究が出ている。ひとつは、進歩的な科学者が2009年に出したもので生産性をあげないと述べている。もうひとつは、2016年。米国の科学アカデミーも同じことを言った。こちらは独立系ではなく、多国籍企業からお金をもらっている人たちもメンバーになっているのだが、それでも生産性があがらないと言っている。

20180121.jpg この図を見て頂きたい。これは、ブラジルでのダイズの生産性のグラフだが、緑が非GMOダイズで、赤が新しい遺伝子組み換えダイズ、一番低い黄色が特許が切れてしまった古い遺伝子組み換えダイズである。モンサントはこの赤い改良ダイズを売ろうとしているが古いものにくらべ3〜4倍、あるいはさらに以上高くて、必ずしも売れていない。今年がどうなっているかはわからないが、ここ数年前までほとんどが黄色のダイズが生産されていた。

 では、なぜ生産性が低いのかというと、遺伝子として入れているのは農薬耐性だけであって、生産性をあげる遺伝子は入れていないからである。そして、健全な大豆に農薬耐性機能が加えられると、そこだけダイズの免疫性が低下してしまう。そこで、収量が下がることはあってもあがることはない。最も、雑草被害や害虫にやられないために収量があがることはある。けれども、それも、作付けしてから3〜4年である。その後には、除草剤耐性雑草が出て来てさらに収量が下がってしまう。

ヴァンダナ・シヴァの警告

 また、遺伝子組換えはもともと灌漑とセットになっている。インドでは天水農業をやっているため、遺伝子組換えコットンが持ち込まれたところ、雨が降る時には収量があがっても降らない時には収穫がない。そこで借金を返済できなくなって30分に一人が自殺している。同じことがブルキナファソでも言える。もともと品質が良いコットンが有名だったが、モンサントのコットンによって大損害を受け、それ以降、怒って栽培を止めている。

 ヴァンダナ・シバさんの『バイオパイラシー―グローバル化による生命と文化の略奪』(2002)緑風出版は名著で、こんなことを書いている。

2018012102.jpg「過去には、植民者としての土地侵略は、砲艦の技術開発によって可能となった。現在では、新しい植民地としての生物体の侵略は、遺伝子工学のテクノロジーによって可能になってきている(p92)

「多様性の操作と独占が行われている現在、種子は「自由の場」かつ「自由の象徴」となった。つまり、種子は自由貿易による再植民地化の時代において、ガンジーのチャルカ(紡ぎ車)の役割を果たす。ガンジーの平和運動において、チャルカは自由の象徴となった。チャルカと同じく、種子もまた、多様性と生き続ける自由を宿している。そして、種子は現在でも、インドの小さな農家の共有財産である(p242)

MN 日本の野菜のタネの9割は海外産だというが現状ではちゃんと野菜ができている。困っていない。種子法が廃止されても野菜のように問題にはならないのではないか。

印鑰 種子が民営化されて最も困ることは出費が増えることである。過去と比べるとヨーロッパではGMトウモロコシの種子の値段が305%も上がっている。これに対して穀物収入があがったのは31%だけである。その差額は遺伝子組換え企業がもらっている。いま、モンサントは遺伝子組換えをすれば収量2%増えるトウモロコシを開発したと言っているが、これも実際に栽培してみないとわからない。

 いま、大規模農業の方が作物の生産性が高いという人は誰もいない。例えば、アルゼンチンは本来は豊かな国で20年前には飢餓がなかった。それが変わった。パラグアイも人口700万人の小国だが、うち、10万人の小農民たちが土地を失った。そして、都市のスラムに流入し、食べられなくなっている。工業型農業は100haでわずか二人しか雇用を創出できない。パイロットとかしかいない。農業労働者はいらない。そして、作られた大豆は世界の産業用のオイルになっている。それがラテンアメリカで起きている現実である。さらにこれがアフリカで起きたらどうなるのか。

 いま、大規模農業で地球が養えるなどというシナリオを真面目に考えている人は誰もいない。もちろん、政治家がそうしたことをぶちまいて言うことはできるが、ある程度の水準の学会でそんなことを口にしたら笑われる。けれども、マスコミではいまもそれが流通している。GMには神話と真実がある。あるGMの推進派のところで話をさせてもらったときに、実際のデータを見せたらばウンともスンとも言わなかった。データをもって反論できないのである。

遺伝子組換えで生産性があがる二つの事例

 今のところ、遺伝子組換えで生産性があがる事例が二つある。シャケとユーカリである。シャケは、カナダで作られ、最初はパナマで養殖する予定であったが、パナマが嫌がっているため、いまカナダで作っている。

 もうひとつは遺伝子組換えユーカリである。熱帯であれば伐採するのに7年がかかるが、それを4年で育つものとして紙パルプやバイオ燃料にしようと言うのである。けれども、ユーカリは水を吸い、かつ、それ以外の植物が育たないような毒を出す。これを食べられるのはコアラとアリしかいない。このため、緑の砂漠とも呼ばれている。ポルトガルで起きた大規模な山火事は油が多いユーカリが原因とされている。

 もちろん、オーストラリアのような在来の生態系にあるのは良い。けれども、これを豊かな熱帯林に植えたらどうなるのか。さらに怖いのは、ユーカリが温帯でも育つように遺伝子組換えをすることである。米国の畑がユーカリだらけになってしまう。カリフォルニア州政府はいま、ユーカリの伐採事業をやっている。なぜかというと、毒素の影響が50年、100年も残るからである。遺伝子組換え大豆は数ヶ月しかはえない。けれども、樹木は数年も毒を出し続ける。非常に危険なのだが、食べるものではないため、反対する人が少なく反対運動は厳しい。

TS いま、野菜でF1が問題があるのかどうか教えて欲しい。

印鑰 いま、野菜の種子の生産は海外にでてしまっている。そしてF1が多い。在来品種が減っている。そして、種子の値段も以前に比べると上がっている。昔はもう少し自由に生産できたが3〜4倍にもなっている。

 また、F1は化学肥料と農薬を使わないとできない。そうした種を使うことを野菜農家は強いられている。昔はホウレンソウがいっぱいあった。雑穀もあった。それが今は失われている。昔の雑穀は収穫が大変だが、異常気象にも強くちゃんと取れた。

KM 栄養価はF1は7分の1しかないと言われている。また、F1の食べ過ぎが不妊症を生んでいるとの説もある。

印鑰 野口さんの説を実証する研究データはもっていない。このため、F1が悪いとは確実には言えない。けれども、野口さんの直感力には凄まじいものがある。問題はF1がやはり種子企業の支配につながってしまうことだと思う。

編集後記

 東京から起こしいただいた印鑰先生には、前日は宿泊施設の門限ギリギリまで、そして、今朝も朝から昼すぎまでたっぷりと議論をいただいた。

Noel.jpg 今日の議論は、有機レストラン、ノエル・キッチンのシェフ、KM氏の手作り料理。議論にも参加いただいた長野市小川の有機農家TS氏の有機野菜のサラダから、羅漢果で甘みを付けた手作りデザートに至るまでのコース料理をいただきながらの議論となった。

 とかく高齢世代は、こうした悲惨な現状を聞くと、怒りをぶつけたくなる。実際、反対もしないJA。黙りを決め込む学術研究者や医師に対して「何をしているのだ」との不満の声があがった。こう書いている私自身、「マスコミは何も報道しない」と折角会場に来て頂いている記者の方を前に厭味っぽく語ってしまったりした。

 けれども、印鑰氏は小さな違いを乗り越えて、共通の基盤を見出しつつ、連帯していくことの重要性を訴えられていた。もし、私どもが「あれが既得権益のJA」「あれが無意味な情報だけを垂れ流すマスゴミ」「あれがやる気がない役人」と肩書きでレッテルを張り、互いにののしりあえばあうほど、しめしめと影でほくそ笑む者たちがいる。

 けれども、「農と食の会」のご縁で、東京から参加いただいた若き起業家の女性はさすがである。

「イギリス在住の友人は、日本は経済だけでなく政治も終わっているので、もう帰国したくないといっている。何が問題なのかを調べてもらったりしている」

「米国の南部は肥満の人が多いが、東部のエスタブリッシュメンたちはスリムである。そして、南部の人たちのことを『彼らはブタのような家畜だ』と侮蔑しているという。つまり、米国といっても一枚岩ではないのだ」

「そうした中で、海外も巻き込みながら、どのように発信ができるだろうか。楽しい運動が求められている」と前向きの意見をいただいた。若者たちに期待したいと思い、かつ、勇気をいただいた日となった。
(2018年1月21日投稿)

【画像】
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posted by José Mujica at 22:28| Comment(0) | 講演・学習会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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